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受講当日

夏休みも終盤に差し掛かり、とうとう翌日に受講という前の夜。。
緊張で眠れなかった。

思い返せばこのとき・・・
考えて・・考えて・・
何かに突き動かされるようにして動き出した。

友人の内科医に「あなたなら出来るよ」と背中を押され続け・・
テキストを手にして・・・。

そして・・不安と緊張で本気でびびりながらトレーニングサイトへ向かった・・。
受付で参加者名簿を見てドン引きした・・。
「わ・・私本当にここにいていいの~~?」
泣き出して逃げ出したい気分・・。
受講者名簿にずらり「医師、医師、正看護師、医師、医師、医師、正看護師、医学生・・・・」

こんなプロフェッショナル集団の中・・輝く「自営業」の文字・・。
しかも所属が・・・堂々と「エステサロン○○」って私のサロンの名前が書かれてるし!!
「何これーーーーーっ!」って叫びたかった。。
こんなの書くって聞いてないよーーーー!
所属:ってあったから書いといただけなのに・・


もうかんべんしてくださいって気分で各班に分かれて自己紹介。
「私は医療従事者ではありません。元ライフセーバーです。」
ほとんど開き直りで堂々と言ってみた。

そして講習が始まった・・・。

不安なんて思っていられないほどの勢いで進んでいく。
やっていくしかなかった。
どんどんどんどん・・・実践実践実践。。
必死になっていた。
大丈夫!全て身体が覚えてる。
講習だけは負けないぐらい重ねてきた。
だって頭で考えてる余裕なんていっさいない。許されない。
全ては「何秒以内」とストップウォッチで計られている。
急がなくちゃいけない。
でも焦っちゃいけない。
確実に・・正確に・・・
2分の長さ・・5~10秒の長さ・・そして短さを
身体に叩き込まれる。

「あなたどうぞ」なんて言っている時間はただの1秒も許されない。
実践の時間になったら自ら立ち上がる。
3人の班の中で、自然にルーチンが出来てゆく。

私の班はすごかった。パワーに満ち溢れていた。
どの班よりも声が出ていた。
私・・・がんばった。
ライフセーバーはチーム蘇生が絶対条件で、
波の音と人々の喧騒にかき消されないぐらい大きな声の連携が欠かせなかった。
だから私・・誰よりもカウントと「お願いします!」の
声が出ていたと思う。これはもう身についてしまっている。
後の二人はそれにつられていった。
次第に本当に元気な体育会系?チームになっていった。
医学生Yくんとかわいい看護師Nちゃん。
20代の若い二人のエネルギーをいっぱいもらいながら・・。

緊張の筆記と実技の試験。。
出来なければ補講、再試験となる。

テキストは何度も何度も読んで覚えた。
どこに行くにも持ち歩いて、隙間の時間で勉強してきた・・。
大丈夫・・がんばれる・・・自分を信じよう。
別室にて25分の試験が始まった・・。

そして実技・・・
試験も全てストップウォッチでカウントされている。
一瞬の隙も許されない。
次の動作に戸惑ったらもうアウト。
補講→再試験である。
考える余裕なんてない。
身体に叩き込んできたことを流れるようにするしかない。。

一連の確認事項を読み上げられたあと
「それでは大丈夫ですか?」
と聞かれ、
一呼吸おいて「はい」と答えた。

結果が配られた。


筆記 100点
実技 合格

泣きそうになっちゃった。。
また・・次に進めるって思った。

次回からタスクとして講習に参加出来る。
嬉しかった。。

そしてタスクを積み重ね、インストラクターになるために経験と勉強を重ねよう。

サイト長の先生に・・
「Ricoさんがインストラクターになれたら、年1回でもRicoさんの地元(片道2時間強かかります)でBLSを開けたらいいですね~。今はそのベースがないのですが・・。ぜひがんばってください。」
って言って頂けた。

県内唯一のトレーニングサイトと地元でのBLS講習の橋渡しになれるかもしれない。。
そんな新しい希望・・目標が私の中で芽生えた。


そして・・この夏休みの間に地元市内の各小中学校にAEDが配置された。
私はやっぱり子供の一次救急をなるべく早い時期に地元で広める講習を開く必要性を感じる。
やるしかない。。きっと出来る!
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BLS受講許可

6月も最終の週・・
上級救急講習も受けたことだし、さて・・BLSの受講申し込みをしよう!

このあたりから色々とBLS関係のブログなどを徘徊するようになった。

非医療従事者にはなかなか高く厳しい壁であることがうっすらながら感じられてくる・・。
医療従事者しか受け入れてくれないサイトもまだまだ多いと漠然と知る。
そして、そうばかりでもないこともわかってくる・・。

「申し込みをして断られたらどうしよう・・。」
「何もしないうちからへこんでどうする!」
「でも・・・・」

頭の中がぐるぐる・・。
勝手に泣きそうになったり・・。

えーーい!!って気持ちで県内のサイトに申し込み。

ドキドキしながら返答を待つ。

何日かして、メールが届いた。

「受講許可されました。」の内容に
小さく「やった・・!」とつぶやいた。


受講料18000円は許可が降りてから貯めた。
1回3000円のフェイシャルエステ・・お客さま6人分。
自宅で細々と営むサロンにとって、決して安い金額ではない。
でも、美容に関しても救急に関しても、自己投資だけは絶対家計に手をつけない。
交通費も全て自分でまかなうと決めていた。
そこに更なる仕事のやりがいや感謝が生まれる。

子供のように握り締めて受講料の振込み。
どきどきする振込みって・・・・自分でも可笑しかった。

現実味が帯びてきて、どこへ行くにもテキストを離さず持ち歩くようになった。
何度も何度も読み返し、英語のDVDを観てシュミレーションを繰り返した。

受講するまでに絶対大丈夫ってレベルにしなければ。。
なぜか・・インストラクターになるためには
BLSforHCPの学科試験に90点以上で合格する必要があったからだ。。


2月から始めた、6月の仕事関係の試験勉強に引き続き、BLSの勉強で、いつしかにわかに学生のような生活になっていた。



BLSforHCPを取得するために・・神さまが微笑んだ

BLSforHCPを取得したいきさつ・・その1
その2


AHA BLSforHCPの存在を知った私は、絶対受講したいと思うようになった。
そしてそれはいつしか指導もしてゆけるように・・との熱い気持ちに繋がっていった・・。

mixiにて、AHA関係のコミュニティーを放浪していたところ、
とあるサイトのインストラクターの方を発見した。
しかし私から声かけできるほどの勇気は持ち合わせていない。

そうしたところ・・私のプロフィールを読んだその方から短いメールが舞い込んだのである。

「ご訪問ありがとうございます。枯れることのないライフセーバー魂・・素晴らしいですね。」

これには心底驚いた。
まさかメールを頂けるだなんて、夢にも思っていなかった。
その方との温かな交流が始まった・・・。
4月の終わりのことである・・。


BLSの講習内容を詳しく知るようにもなってくると
子供や乳児のCPRも含まれるということがわかってくる。

私は子供や乳児のCPRを練習したことはなかった。
どうしてでも、BLSを受けるまでにやってみたかった。
消防の上級救命講習を受講しよう!と思った。

しかし我が家は田舎で、地元自治体の消防で上級救命講習は開催されてはいなかった・・。


県内の政令指定都市の消防局へ問い合わせる。
通り一遍の答え
「受講は市内在住、通勤、あるいは通学の方に限ります」

そんなことはとっくに知っている。
そこを何とかさせたいわけ。
だって地元では上級が受けられないんだから。

「どこかの会社からですか?」
「いいえ、個人です」
「う~~ん・・・」

あちらもダメとも言えず、規則と私の熱意との狭間で苦しんでいる様子。

ライフセーバーだったこと。
AHA BSL Healthcare provider Instructorの資格取得を視野に入れていること。
資格取得後、地元でのボランティア活動を考えていることを伝える。

「わかりました。そういうことでしたら特例としてお受けいたしましょう」
「9時15分開始ですが、物理的にお越しになることは可能ですか?」
「7時半に着く特急がありますので大丈夫です。」

6月23日受講決定!熱意は必ず伝わるものである。
私は諦めるということだけはしたくなかった。
6月初旬に仕事関係の試験を抱えていた私は、それが終わらないことには
上級もBLSも受けることは不可能だった。
受講申込書を印刷して、必要事項を記入して、担当者へ直接FAX。


英語のテキストをアマゾンから取り寄せた。
テキストの内容は、なんとか私にも理解出来るものであり、
英語もそれほど困るものではなかった。
「いける!」という手ごたえを感じた。

とりあえず、出来るところから一歩一歩・・
私のBLS取得に向けて、自分自身も周りの空気も動き始めた。

そんな折り、mixiで知り合った某サイトのインストラクターさんが
私用で、近くにいらっしゃることがmixi内の日記で判明。
普段はとてもお目にかかれるような距離ではない。
すぐにメール。
「お時間があれば、お食事でもしましょう!」
お目にかかるチャンスは5月25日(金)の夜だけ。
全ての調整をすぐにして、片道2時間バスに乗り、私はその方に会いに行った。

現地滞在3時間、往復4時間。
それでも私にとってはすごくすごく価値のあること。
私の熱意などをたくさんお話した。
「インストラクターになってね!がんばってね!応援してるよ!」
たくさん励まして頂き、私の想いは更に強いものになっていった。

そのときにそのインストラクターさんから
「もうすぐ日本語のテキストが出るよ」
と教えて頂いた。


上級を受けることが出来るようになったこと。
BLSインストラクターの方と知り合えたこと。
日本語のテキストが出たこと。

神さまが私に微笑んだ。
私はステージに立つことを許されたのだ・・きっと。



BLSforHCPを取得したいきさつ・・・その2

その1はコチラ

伊藤市長銃殺事件以降、自分の中で疑問や知識欲みたいなものがぐるぐるしていた。

「私・・もっと知らなくちゃいけないんじゃないの?いや・・知りたいんじゃないの?」

・・かと言って看護師になるとかってぶっ飛んでるし・・
と言うか看護師になる気はない・・
それより何より、美容業界で生きていたい。
とか色々・・混乱。。

・・・で混乱しているときに限って神様って意地悪。
友人の内科医からメールが飛んできた。

「AHAのBLS Healthcare providerだけど、日本ACLS協会のHP見てみるといいですよ。たぶんあなたなら取得出来ると思いますよ。Instructorになる道もあるしね。」

は?この先生何言ってますか。
だから私は美容業界なんだってば・・・・。。

・・・と思いつつ日本ACLS協会のHPを見ている自分。

インストラクターって別にこれを本職にする必要がないことがわかったり・・・
勉強の積み重ねで、別に医療従事者でなくても資格取得が可能なこともわかったり・・・

すっかりその気になっていた。(単純!)

そもそもエステティックというのは、医療に非常に近い位置づけである。いうなれば予防医学の一部と解釈している。
実際エステティシャンになるためのテキストは、免疫、細胞、筋肉、骨格・・そんなものが大半を占めている。
精神的リラクゼーションがもたらす自然治癒力や免疫力強化の部分も大きく学ばなければならない。

もうずっとなんだけれど、この先何がしたいかってよく考えていた。
もちろん夢はあるけれど、もっとこう違うカテゴリーで・・。
今のままののんびりエステを続けるのもいいのだけれど。。
最近「そうか・・これかぁ~・・・」っていうのが漠然と見えてきた。

アロマテラピーを医療現場へ・・という考え方があって、ちゃんと「日本アロマセラピー学会」なるものが存在する。
メディカルアロマの世界だ。
フランスなどでは、しっかり根付いていて、保険適応される精油もある。
☆日本アロマセラピー学会☆
もちろん私は医療従事の国家資格を持っているわけではないので学会に参加することは不可能なのだけれど。。

これって・・自分の色々(知識や医学的な知識欲や環境やリラクゼーションやもちろんエステや・・)にあてはめちゃっていいんじゃないの?って。。

出来る方面から勉強して責めてみよう。
私はすごい敏感肌で本当にアロマには消極的になっていたけれど、必ず方法があるような気がして・・。
大好きなのに、やり残している気がして・・。

救急・・予防医学・・代替医療・・アロマ・・エステティック・・そして自分。

ここ3年ぐらい・・走りに走ってみよう。
こんなエステティシャンがいたっていいじゃない?

アロマセラピストになるには、エステの知識(衛生学、公衆衛生学、免疫、解剖生理学(人体のしくみ)、トリートメント法、経営についてなど・・)に加え、精油の効能(って書いていいのかな・・?)
病理学全般:感染症、病原体の感染経路、病原体の防除法、微生物、一般内科、神経内科、脳神経外科、整形外科、眼科、耳鼻科、皮膚科、小児疾患、婦人疾患、泌尿器疾患、精神科疾患など・・
心理学(大学にて単位取得済みにて、結構得意分野♪)
というように幅広く(薄く)知る必要があり、セラピストへの道は超難関である。

でも・・・
古い友人の勧めで英語の勉強を続けてきたこと・・
アメリカにて暮らした経験があること・・
(AHAはアメリカの組織であるため、英語が必須になってくる)
ライフセーバーだったこと・・
エステティシャンの友人に出会って、エステの世界に出会ったこと・・
秘めた情熱をもった内科医に出会ったこと・・
元をたどればもっともっとたくさんの出会い。
全て人とのつながりの中で・・。


全てのことに意味があるような気がしてきた。
どれ一つ欠けても踏み出せてはいなかった。。
だから私・・やらなくちゃいけない気がした。


続く

*******

コメントは承認制にさせて頂いております。
ご理解くださいませ。

BLSforHCPを取得したいきさつ・・その1

~プロローグ~

私は地元のライフセービングクラブに所属していたライフセーバーだった。
最初クラブの門をたたいたときは、CPRなんてものは全然知らなかったし、
興味もなかった。
自分がこの世界にどっぷり浸かるなんてことは夢にも思っていなかった。

クラブでは、ミーティングのたびにCPRの練習をした。
まだ「口内異物確認除去」や「循環のサインの確認」「剣状突起から二指上」「脈の確認」などがあり
非常にややこしかったと記憶している。

ライフセーバーは必ずバディを組んでrescueにあたるという大前提があるが、
体力勝負。。ビーチランのあとすぐにCPRやバスケの3on3を5分してからCPR、チューブトレーニングの直後のCPRなど、
非常に厳しい条件の中でトレーニングを積んでいた。

年齢的にどうしても厳しかったこと・・
家庭生活の中で無理があったこと・・
などの理由で私は引退した。

しかし・・身に着けた、ファーストエイドの知識や、CPRなど・・
この経験を生かして何か出来ないだろうか・・と常に考えていた。
消防の普通救命講習を年3~4回のペースで受講し、
最新のガイドラインを学び続けていた。

そして周りの友人に講習受講を勧め続けていた。
それは段々と自分の使命なんだと思うようになっていた・・。
指導も出来るけれど、救急救命士でも医療従事者でもないし・・
きっとそんな資格は取れないんだと思い込んでいた。
しかし消防の講習内容はすでに身体に刻み込まれ、
頭打ち状態になっていた。。



~AHA BLSと出逢ったきっかけ~

今年の4月17日・・・
長崎市の伊藤市長が銃弾に倒れた・・。
ニュースの一報を聞いたときに、ボーゼンとなった。。
伊藤市長は私が長崎にて暮らしているときに、初当選にて長崎市長になった方。
たまたまアパートのまん前が選挙事務所で、なんとなく親しみがある人だった。
当選したときの喜びの空気が事務所から伝わってくるぐらい至近にあったので、一緒になって嬉しい気持ちになれた・・
そんな縁のあった方。。

長崎は原爆の地にて、核廃絶を強く訴えていたのが印象的。
雰囲気の柔らかな表情が私は結構好きだった。。



もしあのアパートにまだ私が暮らしていて、選挙事務所の前にいたら・・
私は何をしただろうか・・
市長は救急隊到着までどんな処置を受けていたんだろう。。

失血死・・・
心臓が裂けた状態だったそう・・・

おびただしい出血を見た場合・・CPRを施すことは有効なのか、それとも何もしてはいけないのか・・

私に答えは出なかった・・。

普通救命講習では「血は汚いものと思え」と教えられる。
感染を予防するために・・。

答えが見えたのは半日後・・。

そうか・・・
患部直接圧迫止血しながらの2Men CPRかもしれない。。
なんとなく、ふとそう思った。
しかし半日も答えが見つからなかった自分自身に猛烈に腹が立った。
「私は何を学んできたんだろう・・何も身についちゃいない。」

友人の内科医にメールで問い合わせた。

テレビで観てて、救急隊到着まで市長はうつぶせだったようなので、CPRは施されていなかった。
でも、救急隊到着後、即声かけと同時に心マが開始されていたからCPRは有効だろう。

果たして友人の内科医から返事がきた。

「長崎市長のようなケースにおいて、バイスタンダーは、一時救命処置として、何を行うべきかという御質問ですね。
基本的に、目に見える出血部位を圧迫止血しながら、CPRで正解です。
ただ、撃たれて倒れてますので、当然、頭部打撲や頸椎損傷の可能性を考えて、気道確保は、頭部後屈-顎先挙上法ではなくて、下顎挙上法、もしくは修正下顎挙上法が望ましいです。何故、望ましいかと言うと、市民のバイスタンダーにはそこまで要求しないからです。
もし、これらの手技の教育を希望されるなら、AHA(アメリカ心臓協会)のBLS(Basic Life Support) Healthcare providerの取得をお勧めします。」

私がAHA BLSforHCPと出逢った瞬間だった。。

その2に続く。

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